家族と住まいのライフサイクル(1)
~空き家問題の根底にあるもの~
当センターが提携・協力している、住宅コンサルテイング会社『ネクスト・アイズ』主催の『家づくり&リフォームフェア』&『空き家EXPO』が、この10月13日&14日の両日、新宿のTOTO/DAIKEN/YKK APコラボレーションショールームにて開催されました。当センターも、相談員・セミナー講師としてフェアに参加させていただきましたが、両日は述べ200名を超える皆様のご来場をいただき、大盛況のうちに終了いたしました。ご来場いただきました皆様には、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
さて、今回のフェアの重要なテーマが『空き家』ということで、フェアでは『空き家』の問題を様々な角度から取り上げ、その具体的な解決策について各セミナーごとに様々な意見や解決策が提示されていましたが、結論を言えば、『空き家対策』とは畢竟『空き家にならないためにはどうしたらよいか ―空き家にならないための対策』につきる、ということだったようです。
さてここで、なぜ空き家になり、空き家がなぜそのまま放置されるのかについては様々な理由があります。マクロ的には、人口減少・世帯数減少という日本社会の長期的趨勢にもかかわらず、新築住宅の供給が止まらないことがその根底にありますが、ミクロ的には、例えば東村山市などの近年の調査によれば、空き家になった理由の第一位は、一人住まいだった親が施設に入ってしまったものの、さすがに取り壊すことができず、そのままになっているという理由、第二位は、親が亡くなり住んでいた家が空き家になったが、子供は別の場所にすでに住居を所有しており、親の家に移り住むつもりがなく、そのまま放置してある、という理由があげられています。
実は筆者のお世話した方で、数年前に1000万円近くをかけてご自宅をリフォームされた方の奥様が昨年急遽お亡くなりになり、残されたご主人も今年になって認知症となり施設に入居されたため、せっかく大金をかけてリフォームされた家が、空き家のまま放置されている例が実際に身近にございます。(別居されているご家族がその家をどうされるおつもりなのかはさすがに存じ上げません)。
このような『空き家』の問題を考えるとき、筆者は、日本における近年の家族のライフサイクルと、住宅の建物としてのライフサイクルとのミスマッチというものを、強く意識せざるを得ないのです。長きに渡った日本の家父長制度の元では、家父を中心とした家族は基本的には同じ場所で何世代にも渡って続いていくことが前提としてあり、その家族の生活の場としてある家も何世代にも渡って同じ場所で維持され、あるいは『建て替え』を繰り返すことによって家族のライフサイクルと同じライフサイクルを保持してきました。つまりそこにおいては家族と家(住宅)とは同じライフサイクルの中にあったといえます。(ここで「家を建て替える」という考え方は、一見万国共通の考え方のようにみえますが、実は決してそうではなく、むしろ日本人に特有な考え方であることは注意が必要です)。ところがこの家父長制が崩れ、特に戦後の人口増と国の持ち家奨励政策のもとで、長男だけでなく、都会に出てきた次男・三男がそれぞれ別々にマイホームを持つようになると、「いつまでも続く家」という意識は薄れ、日本における家族のライフサイクルは、こと住まいに関しては、視野に入るのは自分の世代のみかせいぜい次の世代まで、という短期化傾向が顕著になりました。そのような背景のもとで、住宅のサイクルの戦後的有り様として「スクラップ・アンド・ビルド」という現象が出現したのではないかと筆者は考えています。
この言葉はよく、戦後の住宅難の解消を目指して、粗製乱造の大量の住宅が供給された時代の日本の住宅の状況を表現する言葉として引用されますが、正確には「持ち家」という側面から見れば、その特質はあくまで「大量のビルド」にあったわけで、次の世代が、親の家とは別の、自分たちのマイホームを建てるという選択と同時に、転居せず、親の家を建て替えて住むという選択が少なからずあったのは、上に述べたような日本的な特質が出た結果なのでは無いかと思うのです、実際、企業や役所の定年が50~55歳で、世帯主の平均寿命もせいぜい65~70歳前後だった1960~70年代には、自分の世代のことだけを考えれば、家は長持ちする必要はなく、また実際、子供世代が引き継ぐには狭すぎ、時代遅れであり(住宅の仕様や設備が古すぎ、当時の生活の近代化のスピードについていけない)、子供世代は、新しい家を建てるか、親の家を壊して次の世代の生活様式にあった家に建て替えるほうが、合理的だったわけです。そう考えれば、家の主の寿命と住宅としての家の寿命はこの時期においては、ほぼ一致していたと云えるでしょう。(後編に続く)