先般発表された、国土交通省の2019年版「国土交通白書」によれば、全国の20~60代を対象にした調査で、将来住みたい家の特徴として、「自分の好みで変えられる家」を上げた人が7割を超えた、と有りました。戦後、日本においては、人口の増加と都市への集中による絶対的な住宅不足に対応するため、ひたすら量の供給を至上命題として、分譲住宅という名のもとに、いわゆる標準世帯を想定した画一的な住宅が大量供給されてきました。高度成長期を通じてがむしゃらに働いた団塊の世代にとっては、生活の基本の場としての住宅にまず望むことは、一にもニにもマイホームを持つこと、すなわち持ち家を持つことであって、住宅の住み安さ、などといった質の部分までには思いが至らなかったのも無理はありません。まずは狭くても良いからマイホームを、そしてその次には広いリビングと家族全員の個別の部屋を、そしてようやく近年に至り、家族や家族の生活パターンの嗜好の変化に合わせて、ハードである住宅そのものも変えられないだろうか、(本来住宅は固定的な空間であるにもかかわらず)、という思いに至っているということなのでしょう。勿論、一口に「自分の好みで変えられる家」といっても、そこに込められた思いは様々であり、「自由に間取りやレイアウトを変更できる家」という意味に留まらず、本音のところでは、「我が家も、家族の人数や年齢に応じて拡がったりコンパクトになったりできれば良いのに(実際にはそれは不可能ですが)」などという思いも含まれているのではないかと想像します。実際のところ、住宅に様々な可変性を求める要素としては、そこに住む人の嗜好や好みの変化、という要素も大きいのでしょうが、実はそれ以上に、本来的に可変性を必要とする大きな理由が存在します。それは家族構成の変化です。夫婦二人の生活の時期、子供が生まれてまだ手が離せない時期、子供が成長して大きくなった時期、子離れして再び夫婦二人の生活に戻った時期、そして終末期。本来、家族構成に応じて住宅に必要な広さは変化します。しかし同じ住宅に住み続ける以上は、物理的な広さは変えられませんので、家族が多い時期には手狭に感じ、老後には広すぎると感じながら、結局の所、一つの家に住み続けることになります。しかしこの問題は、或る意味、日本における戦後の核家族化の側面の一つと取らえることもできるかも知れません。なぜなら「大家族主義」の時代には基本的にこのような問題は起こらなかったでしょうし、また上記のような不便さの解決手段として、本来ならば「その時々の家族構成にあった広さと間取りの住宅への住替え」という手段があり、賃貸住宅が主流の欧米では「住み替え」が一般的な在り様となっていますが、戦後の日本においては、強い「持ち家」志向が、「住み替え」という選択を難しくしてしまっているからです。
初めから間取りやレイアウトを変更できる家の作りにすることは、ある程度可能です。また仕切りをなくすようなリフォームも可能ですが、家の構造による制約は残りますし、在宅介護が必要になった時には、リフォームで対応するには日本の住宅の建築基準法上の段差(45cm)や基本モジュール(基本となる寸法が3尺であること)は障害となります。住宅がハードである以上、絶対的な広さを可変にすることは不可能ですので、最終的には「建て替え」しかない、ということになるのですが、そこには「資金の工面」という大きな壁が存在します。そんな思いが、この「自分の好みで変えられる家」を、多くの人が将来の理想の家の特徴として挙げている、ということなのかも知れません。