皆様あけましておめでとうございます。
コロナの感染拡大の終息が見えない中で2021年の新しい年が明けましたが、コロナパンデミックを契機とした新しい社会が一体どちらに向かうのか、正直見通せない中でも、既に世界はどこかに向かって動き出しています。
住宅関連では、昨年後半以降、マンション価格の今後の動向やら、戸建て分譲住宅の活況やらのコメントが情報サイトを賑わしていますが、本当のところ、オリンピック開催の不透明感もあり、今後の住宅価格の動向やトレンドはなかなか見通せません。
気の早い動きでは、テレワークに適しているとの理由からの戸建て住宅志向の強まりや、テレワークを前提にプラスアルファの自然環境の良さを求めて首都圏のドーナツ圏にマイホームを求める動きが、昨年後半からトレンドになっていますが、この動きが定着するかどうかの判断は正直、まだまだ時期尚早といえます。
筆者が時期尚早と思うのは、以下のような理由によります。
住宅の在り様は、ある意味その国の社会の縮図であり、その時代の家族の在り様や、仕事や学びや余暇の在り様が、広い意味でその時代の生活の基盤としての住宅の在り様をも規定しています。実際のところ日本の社会は、江戸の士農工商の時代以降(筆者は体験したわけではありませんが)、武士層はまさに現代のサラリーマンの職住分離の生活を先取りしていたと云えますが、農工商層においては、基本的には家族が労働の主体であるが故の職住隣接、或いは職住同居が基本でした。
それが近代社会の到来、特に戦後の高度成長期以降は、欧米流の核家族化やサラリーマン社会の到来とそれに伴う人口の都市への集中の中で、職場と生活の場の分離が一般的になりました。つまりは、住宅は、基本的に職場(学校)と切り離された(或いは敢えて職場的なものを持ち込まない)、純粋に家族全員が平等に安心して仕事以外の共同生活を営むための場と認識されて今日に至っています。
そんな日本の(日本だけではないのかもしれませんが)、仕事ではなく純粋に生活の場であるはずの住宅という空間の中に、突如として仕事や職場という異質な空間が割り込んできたのが今回のパンデミックに伴う「テレワーク」という現象だとも云えます。
つまりは、今回のパンデミックによって、一部の人を除いて日本人の多くは、高度成長期以降初めて、いままで別々のものとして認識していた「職場」と「住まい」とを、本来は100%生活の場であるはずのマイホームのなかで同時に実現させなければならなくなったということなのです。
しかし、家族一人一人の指向が拡散の方向に向かう傾向にある現代の日本のファミリーにとって、家族としての一体感醸成の役割を担っているのが、広いリビングに代表される隔ての無い共有空間であることを思えば、現在の家族観を支えるこの空間に、無理やり「職場」と「住まい」を同居させることは、実はそう簡単なことではないのではないでしょうか。
大げさかもしれませんが、「職」と「住」の同居は、もともと分離を前提に成り立っていた現代の日本の住宅と、そんな住宅空間をベースとした家族の一体感や家族同士の相互関係に何らかの変容を迫ることでもあり、想像以上にストレスのかかることではないかと思われます。
テレワークが必須の時代だとはいえ、近年の住宅価格を勘案すれば、「書斎」のような独立した仕事部屋の復権は一般的なマイホーム購入層にとっては非現実的であり、家内工業的な意味での「職住隣接」は一部の人達にとって可能としても、一般的には「コーナー」や「一角」的なスペースの確保で妥協せざるを得ず、ましてや夫婦共々テレワークの可能性まで視野に入れれば、半恒久的に続く日常空間での「職住同居」の実現は思った以上に難しいのではないか、というのが筆者の実感です。
勿論、今後の日本社会において「仕事」の形態がどのように変化するかにもよりますが、「職」と「住」との分離は、セキュリテ―や効率・集中の面からいっても基本的に必要であり、その意味では、サテライトオフィスの活用を含め、所謂「通勤」が必要ない程度の隣接または近距離の小規模一人事務所的な形態が、無理のない落ち着き先なのではないかと、個人的には思っています。